有名だからといって信頼できるとは限らないアステカ神話のあれこれ・その4

 テスカトリポカは夜の翼

 Wikipediaにかつてあった記述ですが(2019年7月14日08:45に変更された)、これは英語版の「the night winds」を「the night wings」と見間違えたことに由来します。
 「the night winds」とはテスカトリポカの別称であるナワトル語の「ヨワリ・エエカトルYohualli Ehecatl」を訳したものです。しかし、この訳はいささか不正確だと思います。夜風であればyohualliとehecatlという2つの単語ではなくyohualehecatlと1つの単語になりそうなもので、具体的な夜風というよりも、「見ることも触れることも出来ないもの(である神)」を表す対句法ディフラシズモによる比喩的表現だと解釈できるからです。サアグンが修辞法と道徳哲学についてまとめた『フィレンツェ絵文書』第6書の第43章に「Iniooalli, inehecatl y naoalli intotecujo(夜、風、ナワリ、我らの主)」という項があり、「これは悪魔テスカトリポカについて言われた言葉である。『テスカトリポカが、ウィツィロポチトリが、人の姿でお前に語りかけるということがあるだろうか。彼らはただ風や夜のような形を取るのみである。彼らが人の姿でお前に語りかけるということがあるだろうか』」といった内容で、人の姿をしていない、見ることの出来ない神としてのテスカトリポカ(やウィツィロポチトリ)をそう呼ぶのだと解することが出来ます。
 なお、ヨワリ・エエカトルの呼称はテスカトリポカだけではなく、ミシュコアトル(『フィレンツェ絵文書』第6書第7章)やケツァルコアトル(『絵によるメキシコ人の歴史』第1章)についての用例もあります。

 テスカトリポカはアステカ人に魔王と呼ばれた

 カール・タウベ『アステカ・マヤの神話』のテスカトリポカについての説明に「アステカの人々はこの恐ろしい神を、「魔王」とか「われらの隷属する男」などと形容していた」とあります。この部分は英語原文では「Among the many Aztec epithets for this awesome being are 'the adversary' and 'he whose slaves we are'.」です。「the Adversary」と大文字であれば聖書における悪魔、サタンのことを指しますが、小文字なので一般名詞の「敵」と解釈するのが適切だと思います。テスカトリポカの別名の1つに、「敵」という意味の「ヤオトルYaotl」があるので、この場合のadversaryはその語義解説だと考える方が自然です。
 確かに、『フィレンツェ絵文書』第1書補遺の「(テスカトリポカを)彼らはまたティトラカワン、そしてヤオトル、ネコク・ヤオトル、モヨコヤ、ネサワルピリとも呼んだ。老人達が真の神だと言ったこのテスカトリポカは(中略)夜、闇と呼ばれた。この邪悪なテスカトリポカが大悪魔ルシファーであることは分かっている」、『テレリアーノ・レメンシス絵文書』fol.23rの「煙を吐く鏡 罪を犯す前のイヴを誘惑した悪魔」などといった記述はあります。しかし、これらはキリスト教に基づく解釈であって、征服前の先住民がテスカトリポカをキリスト教的な意味での魔王、悪魔と見なしていたということではありません。また、彼らは(キリスト教における)悪魔に惑わされていて真の(キリスト教の)神を知らなかったのだ…というようなのがサアグンの話なので、先住民の信仰での善神に敵対する邪悪存在としての魔王ということでもありません。

 テスカトリポカは宣教師に悪魔と見なされた

 先の項からの続きになりますが、テスカトリポカは宣教師に悪魔と見なされたこと自体は事実です。しかし、テスカトリポカだけが殊更に悪魔扱いされていたという訳ではありません。しばしばテスカトリポカは邪神であったので宣教師にも悪魔と見なされたというような説明がされますが、宣教師からすれば先住民の神々は全て悪魔でした。
 現代では悪神テスカトリポカの敵対者である善神とされることの多いケツァルコアトルも、例外ではありません。『マリアベッキアーノ絵文書』fol.60vには「この悪魔はインディオの神々の1人だった。彼の名はケツァルコアトルだった」と書かれているし、サアグンは『フィレンツェ絵文書』第1書補遺において「偶像崇拝者が崇めるものは全て悪魔である」と言っています(サアグンは、ウィツィロポチトリとケツァルコアトルは悪魔の仲間のただの人間だとしています。トルテカ王やメシカ人を導く者であった彼らは普通の人間でなければならない、彼らの神性は特に否定しなければならないと考えていたのでしょう)。
 Wikipediaに「キリスト教の宣教師たちによって悪魔とされた」「ヨナルデパズトーリ(Youaltepuztli)は、テスカトリポカの化身の一つであるとされる。1928年に出版されたカトリック神父でありオカルト研究家モンタギュー・サマーズの吸血鬼を扱った著書(中略)の中で、テスカトリポカは地獄の王でメキシコ人の魂を集め、その姿は蛇の尻尾を持った小さな悪魔であると紹介されている」とあります。ここで言及されているモンタギュー・サマーズの著書『吸血鬼 その同朋と血族』の該当箇所は、より詳しく紹介すると「メキシコの神々のうちで最も強力であるだろうがためにおそらく最も恐ろしいのは、ベルナール・ディアスが「そしてこのテスカトリポカは地獄の神で、メキシコ人の魂を受け持っていました。そして彼の体は蛇の尾を持った小さな悪魔のような像に取り巻かれていました」と述べるところのテスカトリポカであった」といった感じになります。つまり、「蛇の尻尾を持った小さな悪魔」とはテスカトリポカを取り巻く像のことでしたが、Wikipediaではテスカトリポカ本人だと誤解されているのです。ちなみに、モンタギュー・サマーズが引用したベルナール・ディアスの記述は『メキシコ征服記』第1巻第92章にあります。岩波書店の大航海時代叢書から全訳が出ているので、Wikipediaに書く前にそちらを参照すれば、この誤解は防げたのではないかと思います。

 テスカトリポカは美を司る神

 Wikipediaによって広まったこの設定の大本はアイリーン・ニコルソン『マヤ・アステカの神話』のようです。日本語版Wikipediaの「その神性は、夜の空、夜の風、北の方角、大地、黒耀石、敵意、不和、支配、予言、誘惑、魔術、美、戦争や争いといった幅広い概念と関連付けられている」という記述の参考になったのは英語版の「he is associated with a wide range of concepts, including the night sky, the night winds, hurricanes, the north, the earth, obsidian, enmity, discord, rulership, divination, temptation, jaguars, sorcery, beauty, war and strife.」、そのさらに本は記事が作られた当初の「He was a god of beauty and war.」です。
 この英語版Wikipediaの最初の記事には参考文献が挙げられていませんが、内容から推してアイリーン・ニコルソン『マヤ・アステカの神話』の「戦士の若者、私は、太陽のように輝いている、暁の美しさを身につけて I, the warrior youth, shining like the sun and with the beauty of dawn.」という記述を見て書かれたようです。『マヤ・アステカの神話』ではテスカトリポカがショチケツァルと恋に落ちたときの歌だとされるこれは、実際にはエルナンド・ルイス・デ・アラルコン『当地ヌエバ・エスパーニャの先住民インディオの間に今日も生きる異教の迷信と習慣についての書』第4書第2章「愛情を惹きつける、あるいは生じさせる別の呪文について」に収録された呪文の一部です。術者である男性は自分をヤオトル(テスカトリポカ)、目当ての女性をショチケツァルになぞらえて呪文を唱えることで、恋愛成就を祈願しました。
 問題の箇所のナワトル語原文は「Nómatca néhuatl, nitelpochtli, niyaotl, nonitonac, nonitlathuic.(それは私自身、私は若者、私は敵(戦士)、私は陽光、私は暁)」ですが、「nonitonac, nonitlathuic(私は陽光、私は暁)」というディフラシズモの表現を理解していなかったらしいアラルコンによるスペイン語訳は「Yo el mancebo guerrero que resplandezco como el sol y tengo la hermosura del alba;(私は太陽のように輝き暁の美しさを備える若い戦士)」となっています。そして、アルフォンソ・カソが『太陽の民』にこのスペイン語文を引用し、アイリーン・ニコルソンが『太陽の民』を基に『マヤ・アステカの神話』の件の文章を書いたのでした。しかし、比較により明らかなように、元のナワトル語には「美しい」というような言葉は出てきません。
 元の呪文ではテスカトリポカは、女性を誘惑するという意味での男らしさを表すものとして登場しているようですが、美を司るというような表現はありません。トシュカトルの祭りで生贄にされる、テスカトリポカの化身を勤める捕虜は身体に欠点がなく美しい青年であったことは言えるでしょうが、それをもってテスカトリポカは美の神だとするのは飛躍が過ぎるでしょう。

 テスカトリポカにはナワルピリという別名がある

 Wikipediaにかつてあった記述ですが(2019年7月14日08:45に変更された)、「ナワルピリNahualpilli(高貴な魔術師)」とはいかにもテスカトリポカに相応しい別名のように思われます。しかし、実はこれはトラロックの別名、ないし宝石細工師の守護神の名前なのです。
 ル・クレジオ著/望月芳郎訳『メキシコの夢』P119に「ダイアモンド細工師は神々としては(中略)ナワルピリ(中略)を持っていた」、P134に注「nahualpilli ナワリnahualliは<魔術師>、ピリpilliは<高貴な>、従って<高貴な魔術師>の意、宝石細工師の守護神」、P261に「星神テスカトリポカ、まさに<高貴な魔法使いナワルピリ>」とありました。Wikipediaの記事を書いた人はP261の記述を基に、テスカトリポカの忌み名の1つとしてナワルピリを挙げたようです。参考文献に『メキシコの夢』が含まれていることから推して、恐らく合っていると思います。
 ですが、先に述べたようにナワルピリとはテスカトリポカのことではありません。セルマ・D.サリヴァンによるナワトル語英語対訳版『プリメーロス・メモリアーレス』注には「ナワルピリ「魔術師の王子」は大抵トラロックの添え名として解釈される(略)サアグンはしかしながら(略)テノチティトラン/トラテロルコの宝石細工師達トラテッケの「父祖達」として述べられる4人の神々の1人である同じ名を持つ神の衣装の詳細な項目についても述べている。彼の装飾はワステカ人(大いなる魔術師と見なされていた)として描写され、トラロックの特徴とされる要素は一切含まない」と書かれていて、テスカトリポカについては触れられていません。またエドゥアルト・ゼーラーは「古代メキシコ人の宗教歌」で、トラロックがナワルピリと呼ばれるのはこの神が植物を生長させトウモロコシを育て実らせるという事実により魔法が存するから、というような説明をしていました。続けて、魔術師とされるワステカ人の姿をした宝石細工師の神についても述べ、トラロックの聖歌におけるナワルピリは単なる雨の神ではなく、植物の生産者という特別な役割のある雨の神だと見做すべきだろうとしています。ゼーラーもテスカトリポカについては言及していません。
 なお『フィレンツェ絵文書』第3書第5章に、ティトラカワン(テスカトリポカ)が性器を露出したワステカ人に化けウェマクの娘を誘惑する件がありますが、ナワルピリの名は用いられていません。
 ナワリといえば即テスカトリポカを連想するというのは短絡的に過ぎるでしょう。『フィレンツェ絵文書』第3書第3章ではトゥーラのケツァルコアトルは「ウェイ・ナワリvej naoalli(大魔術師)」と呼ばれているし、『当地ヌエバ・エスパーニャの先住民インディオの間に今日も生きる異教の迷信と習慣についての書』第2書第3章のように「私はトラマカスキ(神官)、私はナワルテクトリ(魔術師の主)、私はケツァルコアトル」と称して呪文が唱えられることもあります。どうも「ケツァルコアトル=神官=聖属性/テスカトリポカ=魔術師=魔属性」みたいなイメージがあるようですが、実態に即しているとはいえません。
 ちなみに、やはりWikipediaのトラロックの項には「ヌウアルピリ (Nuhualpilli) とも呼ばれる」とありますが、これはナワルピリNahualpilliの誤記です。

 

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