火の起源

 人間は初め火というものを持たなかった。だから鳥や獣を手に入れても、生のままで食べなくてはならぬし、寒いときには、ひどい苦しみを受けねばならなかった。クェツァルコアトル神がそれを見て、非常に可哀想だと考えた。
 ある日、クェツァルコアトルは、人間たちを呼び集めて、
 「今日は、わしがお前たちにたいへん便利な物をこしらえてやる」
といった。人間たちは非常に喜んで、
「有り難うございます。して、その便利な物と申すのは、いったい何でございます」
と尋ねた。クェツァルコアトルはにこりと笑って、
「何だか、お前たちのほうで当てて見るがいい」
といった。人間たちは互いに顔を見合せて、しきりに考えていたが、やがて一人の男が、
「分かりました、素晴らしい投槍でございましょう」
といった。
「違う」
とクェツァルコアトルが頭を振った。
「では、どんどん食べ物を出してくれる器でございましょう」
とまた一人の男がいった。
「違う」
とクェツァルコアトルが頭を振った。
「では、美しい着物でございましょう。きっとそうですわ」
と一人の女がいった。
「違う」
とクェツァルコアトルが頭を振った。
「では、きっと住みよい家でございましょう」
とまた一人の女がいった。
「違う」
とクェツァルコアトルが頭を振った。人間たちは不審そうな顔をして、
「それでは何でございましょう。早く教えてください」
と叫んだ。クェツァルコアトルは明るい微笑を見せて、
「火という物だよ」
といった。
「ええ、火ですって。火というのはどんな物でございます。そして何になるのでございましょう」
と人間たちが口々に尋ねた。
「血のように赤くて、太陽の光のように明るく温かいものだよ。これさえあれば、鳥や獣の肉も、生で食べるよりずっと旨く食べられるし、寒いときにも気持よく日を送ることが出来るのじゃ」
とクェツァルコアトルがいった。これを聞くと、人間たちは飛び立つほど喜んで、
「たいへん結構な物でございますね。どうか早くそれをこしらえて下さいませ」
といった。
 クェツァルコアトルは黙って、足に穿いていた靴を脱いだ。そしてそれをさっと打ち振ると、血のように赤くて、太陽のように明るく温かな物が、とろとろと燃え出した。
「これが火という物だよ。大切にするがいい」
 クェツァルコアトルはこういって、火を人間に与えた。  こうして人間世界に初めて火という物が現れた。
 

  『メキシコの神話伝説』より
 

 

 これらの部族は火をもっていなかった。トヒールの神の部族だけが火を持っていた。トヒールは初めて火をつくった部族の神であった。どうして火ができたかは知られていない。バラム・キツェーとバラム・アカブが見たときには、もう火は燃えていたのである。じつは彼らが、
「ああ、もうわれわれの火はなくなってしまった。やがて寒さにこごえて死んでしまうだろう」
といったので、トヒールが、
「心配するな。おまえたちが失ったというその火を、おまえたちに与えてやろう」
と言った。彼らは、
「おお、神さま、ほんとうですか。われらを支え、われらを守ってくださる神さま、おお、われらの神さま」
と、神に感謝した。
「そうだ、そのとおり、われこそはおまえたちの神なのだ。そのとおり、われこそはおまえたちの主なのだ」
と、トヒールは神官や供儀師いけにえしに答えた。そうしてこの部族は火をもらい、とても喜んだのであった。
 ところが、その火が燃えさかっているとき、にわかに大雨が降ってきた。霰が部族の人々の頭上に降ってきた。おかげで火は消えてしまい、またもや火がなくなってしまった。そこでバラム・キツェーとバラム・アカブは、もう一度火を与えてくれるようにと、トヒールに頼んだ。
「おお、トヒールの神。ほんとに私たちはこの寒さで死んでしまいます」 と言った。
「よし、心配するな」
と、トヒールは答えて、靴のなかをかきまわし、すぐに火をとり出した(訳注:木の棒を早くまわして火を起こす原始発火法をさしているものと思われる)。
 バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムの4人は大喜びで、またすぐに身体をあたためた。
 一方、そのころ、ヴカマッグの人々の火も同じように消えてしまって、彼らは寒さで死にそうになっていた。それで彼らは大急ぎで、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムのところへ火を求めにやって来た。彼らは、もう寒さや霜をがまんできず、歯と歯をあわせてふるえていた。生きた心地もせず、手足がふるえあがっていて、ものをつかむこともできなかった。
 彼らはやって来て、
「私たちは、みなさん方の火を少し下さい、と、このようにお願いに来たのですが、しかし、それでもこうすることが恥ずかしいことだとは思っておりません」
と言った。彼らはこころよくは迎えられなかった。
 それで彼らの心は悲しみでいっぱいになってしまった。
「われわれの言葉は、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムの言葉とはちがっている。ああ、われわれは自分たちの言葉を捨ててしまったのだ。何ということをしたのだろう。われわれはもうだめだ。われわれはいったいどこで騙されたのだろう? あのトゥランへ着いたときは、みんな同じ一つの言葉をしゃべっていたのに。みな同じように育てられ、同じように教えられたのに。われわれがやったことはよくないことであった」
と、部族の連中は樹木や葦草の下で言いあった。
 すると、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムの四人の前に一人の男が現われた。彼は、シバルバーからの使者であった。
「トヒールこそはほんとうにおまえたちの神だ。おまえたちの支柱だ。そのうえ、彼こそは創造者ツァコル形成者ビトルの身代りであり、その形見だ。おまえたちは、他の部族の者たちに、彼らがトヒールに献物を捧げないかぎりは、火を与えてはならないぞ。おまえたちには何もくれなくてよいのだ。火をもらいに来るときには、何を持って来なければならないか、それはトヒールにきけ」
と言った。この使者はコウモリの翼のような羽根をつけていたが、
「おれはおまえたちの創造者ツァコル形成者ビトルから使わされた者だ」
とつけ加えた。
 シバルバーの使者はこう言うと、たちまち眼の前から消え去ってしまったが、これをきいてトヒールとアヴィリシュとハカヴィツの心には喜びが満ちひろがった。
 一方、この部族の者たちがやって来たときは、寒さで死にそうになってはいたが、それでも死にはしなかった。霰や、黒い雨が降り、霧がかかり、それは、言いようもない寒さであった。
部族の者たちがみな、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムのところへやって来たときには、まったく寒さにふるえあがっていたのである。彼らの心は深く悩み、その口もとにも、目つきにも、悲しみの色が見えたのであった。
 頼みにやって来た者たちは、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムの前に現われると、
「あなた方は、われわれを哀れと思ってくださらないのでしょうか。われわれは、あなた方の火を、ほんの少しばかりいただきたいとお願いしているだけなのですが。われわれは、もともと一つになっていたのではありませんか。われわれが創られ、形を与えられたころは、同じ故郷に住み、一つの国にいたではありませんか。どうか、われわれに情をかけてください」
と言った。すると、
「おまえたちに情をかけてやるかわりに、いったい、おまえたちはわれわれに何をくれるのかね?」
と、四人が尋ねた。
「それでは、あなた方にお金を差し上げましょう」
と、部族の者たちが答えた。バラム・キツェーとバラム・アカブは、
「お金は要らない」
と言った。
「それじゃ、何をお望みなのですか」
「今、それを尋ねてみる」
「では、どうか」
と、部族の者たちは言った。
「トヒールに尋ねてから、おまえたちに言うとしよう」
と、二人は答えた。
「おお、トヒールよ。あなたの火を求めてやって来た部族の者たちは、何をあなたに差し上げればよいのでしょうか」
と、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムが言った。
「よし、彼らはその胸と腋の下をくれるだろうか(訳注:これは、メキシコ式に、胸を石刀で開き、その心臓を神に捧げるため、犠牲に供する者を渡せ、ということである)。彼らは、このトヒールにこの腕で抱きしめてもらいたいと願っているだろうか。それがいやというなら、おれも、火をやるわけにはゆかぬ」
とトヒールは答え、
「しかしそれは、もっと先のことでよいのだ。今、その胸と腋の下を、おれに捧げに来ることはいらないのだ。そう彼らに言ってくれ」
 これが、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マクフタフとイキ・バラムへのトヒールの返事であった。
 それで彼らは、トヒールのこの言葉を伝えた。これをきいて部族の者たちは、
「かしこまりました。われわれは一緒になって、トヒールを抱きしめましょう」
と言って、すぐさま、そのようにした。
 彼らは、
「よし。しかし、早くだよ」
と言った。そうして部族の者たちは火を受け取り、身体をあたためた。
 

  『マヤ神話 ポポル・ヴフ』(A.レシーノス 原訳/林屋永吉 訳/中央公論新社/2001改訳)より引用
 

 

 「『マヤ神話 ポポル・ヴフ』って! アステカじゃないじゃないか!」とお思いでしょうね……そうなんです。これは元々ケツァルコアトルの名でアステカに伝えられた話ではなかったんです。
 松村武雄はダニエル・ブリントンの『新世界の神話』の「サンダルを振ることによって彼(ケツァルコアトル)は火を人間に与え、そして平和と豊かさと富を彼の臣民に授けた」という箇所を想像で膨らませて「火の起源」を書いたのです。確かに、ブリントンの記述だけ読めば、松村が書いたような優しく恵み深いケツァルコアトル像が浮かんでくるのもむべなるかなという感じではありますが、そのさらに元となったのは『ポポル・ヴフ』から引用したああいう話なのでした。
 しかし、何故ケツァルコアトルではなくトヒールのエピソードが元ネタだと分かったのかと疑問に思われるかもしれませんね。ブリントンは件の記述のあるページの脚注に「ケツァルコアトルの神話は主としてサアグンの『ヌエバ・エスパーニャ総覧』lib. i. cap. 5 ; lib. iii. caps. 3, 13, 14 ; lib. X. cap. 29およびトルケマダの『インディアスの王朝』lib. vi. cap. 24より採った。覚えておくべきなのは、キチェー人の伝説は彼を中米のトヒールと確かに同一視しているということである(『聖なる書』p. 247)」と書いています。しかし、サアグンとトルケマダの著書には「火の起源」の元になったらしき記述はありませんでした。それではと『聖なる書(Le Livre Sacré)』――ブラッスール・ド・ブールブールによる『ポポル・ヴフ』フランス語版のタイトルの略称で、全部書くなら『ポポル・ヴフ 古代アメリカの聖なるものと神話の書(Popol Vuh Le Livre Sacré et Mythes de L'antiquité Américaine)』――を調べたところ、第3部第5章にトヒールの事跡として靴をかき回して火を取り出す話が書かれていました。『ポポル・ヴフ』は和訳が出ているし私が訳すよりそちらを参照した方が確実なので、ここでも中公文庫版をそのまま引用しました。
 「キチェー人の伝説は彼を中米のトヒールと確かに同一視している」というのは、『ポポル・ヴフ』第3部第9章に「トヒールがヨルクアト・キッツァルクアトという名のヤキの神と同じ神だったからである。(中略)『ヤキの人たちは、今日メキシコという国で、暁を迎えているのだ(後略)』」と書かれていたことから来ています。ブリントンは『新世界の神話』の別の箇所で「トヒール、サンダルを振ることでキチェー人に火を与えた神は燧石を象徴していた。彼はケツァルコアトル、もっとも一般的な燧石(テクパトル)の象徴のひとつと同じものだとはっきり言われていた」と書いています。なお、ここで言う燧石とは、ヘロニモ・デ・メンディエタ『インディアス教会史』に書かれたシトララトナクとシトラリクエ(オメテクトリとオメシワトルに相当)から生まれ地上に落ちて1600の神々となった燧石のナイフのことです。(ケツァルコアトルの双子とされる)ショロトルがミクトランから持ち帰った骨にこれらの1600の神々が血を注ぐことで新たな人間の男女が誕生したという話は、『太陽の伝説』収録のケツァルコアトルが彼のナワル(魔術師・分身)と共にミクトランから骨を持ち帰り、ケツァルコアトルら神々が血を注いで新たな人間が生じたという話のバリエーションです。
 とにかく、トヒールないしケツァルコアトルが靴から火を出したエピソードの出典は『ポポル・ヴフ』でしたが、ブリントンは詳細を紹介しなかったため、松村は自らのイマジネーションを働かせ、トヒールがキチェー人に火を与えた話ではなくケツァルコアトルが人間一般に火を与えた話を創作したのでしょう。
 また、松村は同じ「火の起源」というタイトルの話を「マヤ族の神話伝説」としても書いています。こちらはルイス・スペンス『メキシコとペルーの神話』に書かれたトヒールの話が元になっていますが、やはり『ポポル・ヴフ』のものとは異なります。
 

 人間どもは、初め火を持っていなかった。だから夜は真っ暗なところにいなくてはならぬし、寒いときには、ただがたがた震えていなくてはならなかった。そして、折角折鳥や獣を手に入れても、生のままで食べるより他なかった。
 トヒル(Tohil――「ぶらつく者」)という神がそれを見て、
「どうも可哀想だ。人間どもに火を授けてやることにしよう」
といって、両方の足を激しく擦り合わせると、たちまち火が燃え出した。人間どもはその火をもらって、みんなで分けることにした。そしてそれを消さないように大切にしていたが、あるとき大雨が降り続いて国中の火をすっかり消してしまった。人間どもは非常に嘆き悲しんだ。と、トヒル神がそれを見て、
「よし、わしがもう一度火をこしらえてやろう」
といって、自分の脚と脚とを擦り合わせると、たちまち火が燃え出した。
 こうして人間どもは火を失くすたびに、トヒル神のお陰でそれを手に入れることが出来るのであった。
 

  『メキシコの神話伝説』より
 

 導入がほぼ同じだなぁ、そんなにそのパターンがお気に入りか……実際には『ポポル・ヴフ』はもとより『メキシコとペルーの神話』にもそんな説明はなかったんですが。スペンスはこんな風に書いてました。
 

 痛ましいことにキチェー人達は彼らが住んでいる太陽のない世界に火を欲していたが、このトヒール神(ぶらつく者、火の神)がすばやく与えてやった。しかしながら、大雨が降りその地の全ての火を消してしまった。これらは、しかしながら、ただその両足を打ち合わせることで火を作り出せる神トヒールによって常にまた供給されたのであった。
 

 『ポポル・ヴフ』の元になった箇所と読み比べると、ブリントンもスペンスもトヒールがキチェー人以外の民族からは火の代償として生贄を要求したことについては触れていないのが気になります。どうも、アステカについてはコンキスタドーレスがばっちり目撃してしまっているので仕方ないとして、それ以外の先スペイン期メソアメリカの生贄に関する記録は軽視ないし無視する風潮が昔はあったようですね。そして、『ポポル・ヴフ』は読んでいなかった松村は『新世界の神話』のケツァルコアトルの話と『メキシコとペルーの神話』のトヒールの話とが本来は同じものであったことに気付かず、想像で補完したものをナワ族とマヤ族の神話として別々に自分が編む本に載せることにしたのでした。
 ところで、『ポポル・ヴフ』ではトヒール=ケツァルコアトルとなっていますが、トヒールに関連があると思われる神は他にもいます。スーザン・ミルブラスの論文「マヤの煙を吐く鏡の主」などによれば、『メキシコの神話伝説』の「マヤ族の神々」の項でも紹介されているK神に相当する神カウィールがそれです。天界と王権に関係がある神である彼の名は、稲光と関連する石彫、燧石、石製斧頭との関係が暗示されていて、またカウィールの形象を黒曜石を現す単語と結びつける研究者もいます。これらは、スペインによる征服の折の支配者の血統の主でありキチェー人の稲光と嵐の神のトヒールともつながります。そしてカウィールは、煙を吐く鏡と蛇になっている片足、また天界と王権との関係を持っていて、アステカの神テスカトリポカのマヤにおける配偶神counterpartと見なされます(ヨワルテクトリの項でも書きましたが、「配偶神」とは「counterpart」の訳語であり「対の片方、対応するもの」や「そっくりなもの」を意味します。「配偶者(夫ないし妻)である神」ではありません)。カウィールとテスカトリポカの煙を吐いたり燃えたりしている蛇の足は恐らく稲光を表わす火の蛇を象徴するもので、トヒールとの関連も伺えます。『ポポル・ヴフ』訳注にもあったように、トヒールが靴の中をかき回して火を作り出したのは木の棒を早く回して火を熾す原始発火法を表わしているようですが、テスカトリポカもまた火熾し棒を用いて新しい火を作り出したことが『太陽の伝説』『絵によるメキシコ人の歴史』などに語られています。ただし、『ボルジア絵文書』ではケツァルコアトルが火熾し棒を用いているシーンが描かれてもいます。
 まとめると、『メキシコの神話伝説』の「火の起源」は『ポポル・ヴフ』のキチェー人の神トヒール(メキシコのヤキの人々の神ヨルクアト・キッツァルクアトと同じとされる)が靴の中をかき回して火を作った話が元になっているものの、松村が『ポポル・ヴフ』を読まなかったため、ブリントン『新世界の神話』のごく簡略化された記述のみを頼りに想像で作り上げられた創作神話であるといえます。トヒールは『ポポル・ヴフ』ではケツァルコアトルと同じ神とされますが、他の史料から考えるとテスカトリポカとも関連があるようです。
 

 

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