有名だからといって信頼できるとは限らないアステカ神話のあれこれ・その1

 オメテオトルの4柱の息子たちは赤のテスカトリポカことシペ・トテク、黒のテスカトリポカ、白のテスカトリポカことケツァルコアトル、青のテスカトリポカことウィツィロポチトリ

 これはアルフォンソ・カソが提唱した解釈「オメテクトリとオメシワトルにはシペやカマシュトリとも呼ばれる赤のテスカトリポカ、黒のテスカトリポカ、ケツァルコアトル、ウィツィロポチトリこと青のテスカトリポカの4柱の息子達がいた」に由来する説です。カソは出典を明言していませんが、基になったのは植民地期初期の文献『絵によるメキシコ人の歴史』でしょう。この文献によれば、正確には「トナカテクトリとトナカシワトルの4柱の息子たちは赤のテスカトリポカ(トラトラウキ・テスカトリポカ)ことカマシュトリ(ミシュコアトルとも)、黒のテスカトリポカ(ヤヤウキ・テスカトリポカ)、ケツァルコアトル、ウィツィロポチトリ」です。テスカトリポカは赤と黒のみで白や青は登場せず、また「白のテスカトリポカ=ケツァルコアトル、青のテスカトリポカ・ウィツィロポチトリ」でもありません。テスカトリポカは4色いると言われるのにトラトラウキ・テスカトリポカとヤヤウキ・テスカトリポカしかナワトル語名が書かれずイスタク・テスカトリポカとかショショウキ・テスカトリポカとかは滅多に見かけないのはそのためです。ネットの記事ではまれに白と青のナワトル語名が書かれていることもありますが、それは「赤と黒しかないのはおかしい」と考えた人が書き足したものでしょう。『絵によるメキシコ人の歴史』には白と青には言及がありません。
 なお、カソは「白のテスカトリポカ=ケツァルコアトル」とは言っていません。彼の著書『アステカ人の宗教』には「4柱の神々、原初神夫婦の息子達は赤のテスカトリポカことシペとカマシュトリ、一般にテスカトリポカと呼ばれる黒のテスカトリポカ、生命と風の神ケツァルコアトル、青のテスカトリポカことウィツィロポチトリであった」「ケツァルコアトルは、原始的な神話では白のテスカトリポカの領域であったかもしれない持ち場を占めていた」と書かれています。それなのに、話が広まっていくうちに内容が変化し、「ケツァルコアトル=白のテスカトリポカ」ということにされてしまったようです。カソの『アステカ人の宗教』を参考に書かれたジョージ・C.ヴェイラント『メキシコのアステカ人』では「ケツァルコアトルは時として白のテスカトリポカとして描かれる」とされました。この本は広く読まれたため、多くの人に影響を与えたのでしょう。
 それにしても、何故カソはケツァルコアトルは白のテスカトリポカではないと考えたのでしょうか? それはきっと、ケツァルコアトルのフェイスペイントが黄色と白の横縞ではなく、頭に煙を吐く鏡をつけて描かれることもないからです。黄色の横縞フェイスペイントと煙を吐く鏡はいずれもテスカトリポカの特徴で、シペ・トテクは黄色と赤、ウィツィロポチトリは黄色と青の横縞フェイスペイントで表されることがあり、また頭に煙を吐く鏡をつけていることもあります。カソの著書『太陽の民』には「夜の神として、テスカトリポカもまた黒く塗られたが、彼の顔は黄色と黒の横棒で縞模様にされていた。この装飾はイシュトラン・トラトラアンの名で知られ、全てのテスカトリポカを特徴付けていたが、シペではその色は赤と黄色に変わり、ウィツィロポチトリでは青と黄色だった」という記述があります。しかし、このイシュトラン・トラトラアンと呼ばれる横縞模様はオトミ人の火と死せる戦士の神オトンテクトリの顔にも描かれていますが(オトンテクトリのは白と黒)、彼は兄弟には含まれないし、テスカトリポカと同一視されている訳でもありません。カソはこの件については無視しています。
 また、カソがケツァルコアトルは白のテスカトリポカに置き換わったのであり、白のテスカトリポカそのものではないとした理由としてもう1つ考えられるのは、彼が善神ケツァルコアトルと悪神テスカトリポカの対立を重視していたことです。『アステカ人の宗教』には「繰り返される人類の出現は2柱の神々が交互に創造者の地位で行動したためだった。ケツァルコアトルは恵み深い神、農業と産業を始めた英雄で、黒のテスカトリポカは全能の神、多くの姿を持ち至るところに存在し、夜の神で、邪悪な者と魔法使いの守護者だった。ケツァルコアトルとテスカトリポカは互いに争い、交互に起こる勝利は代わる代わる興隆する創造をもたらし、そして彼らの闘争の物語は宇宙の歴史であった」とあります。赤のテスカトリポカやウィツィロポチトリ(カソによれば青のテスカトリポカ)は過去に存在した太陽には関与していないこともあって、ケツァルコアトルとテスカトリポカの闘争に注目し、そこに善悪の対立をも見たのでしょう。ただし、カソは『アステカ人の宗教』で、トラロックの第3の太陽をケツァルコアトルが火の雨で滅ぼしたことを述べた後、第4の太陽について「ケツァルコアトルはトラロックの姉チャルチウトリクエ(翡翠色のスカートの女)を太陽となるよう選んだ。地上を水浸しにするために洪水のような雨を引き起こしたのは恐らくテスカトリポカだった」と書いていますが、実際の史料には雨の原因は明言されていません。テスカトリポカが雨を降らせたというのはあくまでカソの推測だということに注意しましょう。
 カソは、4兄弟の親オメテクトリとオメシワトルが中央を表し、赤のテスカトリポカ、黒のテスカトリポカ、ケツァルコアトル、青のテスカトリポカはそれぞれ東、北、西、南に割り当てられているともしていますが、これもまた仮説であり、実際の神話にそういう記述がある訳ではありません。『絵によるメキシコ人の歴史』では黒のテスカトリポカは「真ん中に生まれたから」最も優れかつ悪く、他の兄弟を圧倒していたといいます。
 カソ及びヴェイラントによる解釈は「解りやすく」、研究者や一般の読者達に広く受け入れられた結果いつしか実際の神話の記述のように信じられることになってしまったのです。

 トラロックの最初の妻はショチケツァル? トラソルテオトル?

 これはショチケツァルが正解です。テスカトリポカがトラロックの妻を奪った話が収録されているディエゴ・ムニョス・カマルゴの『トラスカラ史』にそう書かれています。アルベール・レヴィユがショチケツァルはトラソルテオトルの別名だと考え、ショチケツァルのエピソードをトラソルテオトルのものとして紹介し、さらに松村武雄が彼の本を参考にして「妻奪い」の物語を創作したために話がややこしくなったのでした。ちなみに、隠者ヤッパンを誘惑したのもトラソルテオトルではなくショチケツァルです。そして「隠者の堕落」の物語は松村の創作です。
 確かに『テレリアーノ-レメンシス絵文書』にはトシとトラソルテオトルとショチケツァルとイツパパロトルとを同一視する記述がありますが、しかし即これらの名前はすべて同じものの別名に過ぎないとして1つの名前のもとにすべてのエピソードをまとめてしまうのは大雑把なやり方だと思います。
 ところで、『絵によるメキシコ人の歴史』には、トラロックはチャルチウトリクエとセットで最初から夫婦として創られたとする神話もあります。

 イツトラコリウキとイツパパロトルは夫婦

 『テレリアーノ-レメンシス絵文書』ではイツトラコリウキとイツパパロトルはそれぞれ罪を犯した後のアダムとイヴになぞらえられているので、そこから彼らが夫婦だと考えられたのかと思います。というか、アイリーン・ニコルソンの『マヤ・アステカの神話』にイツラコリウキは女性の相手イツパパロトルを持っていたとあるので、それが広まったきっかけのような気がしています。

 イツトラコリウキ? イツラコリウキ?

 Itztlacoliuhquiなので、日本語での慣用的な表記ではイツトラコリウキとなるでしょう。実際の発音としてはイツラコリウキの方が近いかもしれませんが、そうするとテスカトリポカはテスカリポカになるんじゃないかとか、それはそれでややこしいことになるかと……。

 トナティウの妻は夜の太陽ヨワルテクトリ

 これは『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』のヨワルテクートリの項に由来する誤解です。日本語で「配偶神」となっている単語は原著では「counterpart」であり、意味は「対の片方、対応するもの」や「そっくりなもの」などで、神話の分野での訳語として「配偶神」という語が作られたようです。しかし、日本の読者は「配偶者たる神」のことだと解釈してしまいがちで、誤用の方が一般的になっているのが現状です。なお、『ヴィジュアル版』の原著『The Mythology of the Americas』では「counterpart」は同性の対応者のことのようで、異性であることを強調したい場合は特に「female counterpart」のように書いてあります。日本語版でも「女性配偶神」と訳されているので分か……いや、やっぱり紛らわしいわ。
 というか、『The Mythology of the Americas』では「He was the representative of both the sun and Venus as they joined in the underworld to end each daily cosmic cycle」となっていた部分が『ヴィジュアル版』だと「太陽と金星が地下世界で一緒になって、宇宙的な日々のサイクルが終わると信じられていたため、双方の天体の神とも見なされていた」と訳されていたのがまずかったです。「彼は」と一言書いておけば誤解はされなかった、少なくともされる可能性は減っていただろうに! 日本語は英語ほど人称代名詞を使わないという性質が仇となったのでした。
 そして、『ヴィジュアル版』の記述を参考に書かれた土方美雄『マヤ・アステカの神々』のヨワルテクトリの項にもその誤解により「太陽神トナティウの妻とされる、「夜の太陽」を象徴する神」と書かれ、ヨワルテクトリとはトナティウの妻である女神だという誤った設定が日本限定で広まってしまったのでした。ついでに言うと、同書ではショチケツァルのことをショチピリの妻としていますが、これも本当は「女性配偶神(female counterpart)」、ショチピリに対応する女神のことです。
 それでは、ヨワルテクトリとはどういう神なのでしょうか? 彼の名前は「夜の主」を意味します。『フィレンツェ絵文書』第6書第31章、産婆が新生児のへその緒を埋める際に唱える口上において、蒸し風呂の祖母テマスカルテシことヨワルティシトルと共に父母として扱われてたり、同文書のスペイン語テキストでは「nuestro senõr Yoaltecutli y nuestra senõra Yoalticitl(我らの主人ヨワルテクトリと我らの女主人ヨワルティシトル)」と書かれているとか、『テレリアーノ-レメンシス絵文書』ではイツパパロトルと共に堕天したシトラリクエとシトララトナク夫婦の息子たちの一員(メンバーはケツァルコアトル、ウィツィロポチトリ、テスカトリポカ、トナカテクトリ、ヨワルテクトリ、トラウィスカルパンテクトリ。ただし、トナカテクトリはシトララトナクと同一視される存在のため、ここに名が出てくるのは間違いでしょう)とされているなどのことから、ヨワルテクトリは男神であると分かります。
 ヨワルティシトルについては「神話紹介」の「太陽の出現」の解説でも触れていますが、彼女について触れている『メキシコの神話伝説』にもヨワルテクトリの性別が不明になる原因がありました。「太陽の出現」解説でも述べましたが、ダニエル・ブリントンはアントニオ・デ・レオン・イ・ガマの『Descripcion historica y cronologica de las dos piedras』を参考に『The Myths of the New World』のヨワルティシトルの説明を書きました。しかし、彼は月の女神についてのみ語るつもりだったので、参考文献では共に名が挙げられていたヨワルテクトリの存在は無視しました(ヨワルティシトルは月の女神だとはレオン・イ・ガマは書いていませんが、ブリントンは「出産に関わる女神=月の女神」と考えたのかメツトリの別名と解釈しました)。そして、予備知識のない松村武雄が『The Myths of the New World』に書かれたことをそのまま自分の本に取り入れたため、女神ヨワルティシトルと対になる男神ヨワルテクトリの存在は日本では広まらなかったのです。
 また、ヨワルテクトリはヤカウィツトリ(尖った鼻の者)と共に火熾し棒ママルワストリの星座を構成する星でした。火熾し棒とは、おうし座のプレアデス星団と考えられる星々市場ティアンキストリの近くにある2つの目立つ星ということから、ふたご座のカストルとポルックスだと推測されています(アンソニー・F.アヴェニ『Skywatchers of ancient Mexico』ではオリオン座のベルトと剣(三ツ星と小三ツ星)、またはおうし座のヒアデス星団ではないかとしているようです。他にもおうし座の一等星アルデバランなど、いくつかの解釈があります)。
 なお、ヤカウィツトリについてはヨワルテクトリ以上に資料が少なく詳細は不明です。『メキシコの歴史(Histoyre du Mechique)』によれば、「新たな創造」の章に夜の神々としてヨワルテクトリとヤコウィツトリ(ヤカウィツトリ)の名が挙げられています。その前の段落で紹介されている星の神々シトラルトナク(シトララトナクの表記ゆれ)とシトラリクエは夫婦とされていることもあってか、エドゥアルト・ゼーラーはヤカウィツトリはヨワルテクトリの妻であるとしています。ゼーラーが参照したエドゥアール・ド・ジョングが『メキシコの歴史』を活字に起こしたものでは「ヨワルテントリという名の他の神々とその妻ヤコウィツトリ(aultres dieux nomes Yoaltentli, et sa femme Yacahuiztli)」となっていますが、アンヘル・マリア・ガリバイによるスペイン語訳では「ヨワルテクトリとヤコウィツトリという名の他の神々(otros dioses, llamados Yoaltecutli y Yacohuitztli)」となっていて、ヤコウィツトリ(ヤカウィツトリ)がヨワルテクトリの妻なのかどうかは不明です。同書「13層の天」の章ではヨワルテクトリは天界の第11層にいるとされますが、そこにはヤカウィツトリの名はありません。他にヤカウィツトリの名が出てくるのは『フィレンツェ絵文書・第8書』第17章、君主たちトラトケが職務や統治を上手く務めるための訓練について書かれた文章の中、「全ての戦士たちはそこに散開した、夜(の神)ヤカウィツトリが訪れるとき――闇の帳が下りるときまで」という箇所です。
 ヨワルテクトリの図像は『ボルジア絵文書』35葉で見られるようです。目に丸いゴーグルのようなもの、頭にヴェールと鳥の足をつけている男性がヨワルテクトリらしいです。「らしい」というのは、それがヨワルテクトリだと断定できるほどの証拠はないからですが、他に有力な候補もいないからか、前述の男性をヨワルテクトリと見なすということが通例になっているようです。
 昼の太陽トナティウの対となる夜の太陽がヨワルテクトリだという解釈はおそらくゼーラーが最初に唱えたのでしょう。そして、ゼーラーの説を参考にしつつ「太陽の石の中央の顔は昼の太陽トナティウではなく夜の太陽ヨワルテクトリ」だとする説を唱えたシシリア・F.クレインの論文「The Identity of the Central Deity on the Aztec Calendar Stone」によって広まったように思います。もっとも、D.M.ジョーンズは彼女の論文を直接読んだのではなく、それを参考文献に含む本を見て孫引きしたようです。ついでに言うと、クレインの論拠は『フィレンツェ絵文書・第2書』補遺の「太陽がいかに奉仕され、そして昼夜を通していかに多くの回数トランペットが鳴らされ、香が捧げられたかについての証言」の章で、毎日香が日中に4回夜中に5回捧げられたといった話の流れで、暗くなったときにヨワルテクトリ・ヤカウィツトリを迎える言葉が書かれていて、そして次に260日ごとの4の動きの日の祭りの解説に移るんですが、チャールズ・E.ディッブルとアーサー・J.O.アンダーソンによる英訳では、原文が「Auhin ilhujuh,quiçaia ipan cemjlhujtonalli navi ollin」となっているところを「And the feast day of {Youaltecutli} came at the time of the day count Four Movement」としていて、原文にはない{ヨワルテクトリの}を補っています。しかし、ここで話題が変わっているからヨワルテクトリの話はもう済んで、4の動きの日に関しては太陽を祭る日の話になっていると思います。第7書ではヨワルテクトリ・ヤカウィツトリは夜の太陽ではなく、火熾し棒の星座ママルワストリの星として語られてるし。
 それでは、ヨワルテクトリが男神でありトナティウの妻ではないとすると、トナティウには妻がいるのでしょうか? 『太陽の伝説』ではイスタクチャルチウトリクエが彼との間に400と5人のミシュコアを生み、トラルテクトリが子供たちを育てています。また、『フィレンツェ絵文書』のヨワルテクトリ・ヨワルティシトルが父母とされているのと同じ章にてトナティウとトラルテクトリもまた父母として共に名を挙げられています。
詳しくはこちらこちらの記事をご参照ください。
 なお、『ボルジア絵文書』44葉には花の神殿でトナティウと女神(ショチケツァル?)との婚姻が行われていると解釈されている絵があります。

 ミシュコアトルとコアトリクエの間に生まれた子供がコヨルシャウキ、センツォンウィツナワ、センツォンミミスコア

 ミシュコアトルとコアトリクエが夫婦だとする記述はディエゴ・ムニョス・カマルゴの『トラスカラ史』にありますが、彼らの子はケツァルコアトルとなっています。コヨルシャウキやセンツォンウィツナワ、センツォンミミシュコアについての言及はありません。
 この項の見出しにあるような設定が広まったのは、『マヤ・アステカの神々』に「ミシュコアトルは(中略)コヨルシャウキや400人の息子の父であり、コアトリクエの夫」と書かれていたからであり、その参考文献『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』のコアトリクエの項に「ウィツィロポチトリ(戦いの神)、コヨルシャウーキ(月の女神)、センツォンウィツナワックとセンツォンミミスコア(南と北の星座)の母ともされる。(中略)コアトリクエは雲の蛇であるミシュコアトル(狩猟の神)の母だった」、センツォンウィツナワックとセンツォンミミスコアの項に「それぞれ南と北の星座を表わし、アステカの太陽と戦いの神々で、ウィツィロポチトリの兄弟姉妹でもある。(中略)両方の星座とも、母親(オメシワトルないしコアトリクエ)が自分たちを不義によって身ごもったと考えて、母親殺しをくわだて、その罰としてウィツィロポチトリによって空にまき散らされた」と書かれていたからです。
 コヨルシャウキとセンツォンウィツナワはウィツィロポチトリ誕生譚でお馴染みですが、センツォンミミシュコアとは何者でしょうか? 彼らが出てくる神話は一つ上の項で触れた『太陽の伝説』収録のエピソードですが、その話では後にセ・アカトル(・トピルツィン・ケツァルコアトル)の父となるミシュコアトルは400人のミシュコアの後に生まれた5人のミシュコアの内2番目の子です(ミシュコアないしミミシュコアはミシュコアトルの複数形)。5人のミシュコアはトナティウの命令により父母たる太陽と大地に捧げものをしない400人のミシュコアを討つんですが、このエピソードがウィツィロポチトリ誕生譚に影響を与えた可能性はあります。しかし、ウィツィロポチトリがコアトリクエから生まれた時の話にはミシュコアトルもセンツォンミミシュコアも出てきません。
 アルフォンソ・カソ『太陽の民』に「全ての星々は神々であり、センツォンミミシュコア「無数の北方から来た者たち」とセンツォンウィツナワック「無数の南方から来た者たち」と呼ばれる2つの集団に分類されると考えられていた。彼らは太陽が毎日戦わねばならない戦士たちであった」という記述があり、センツォンミミシュコアがセンツォンウィツナワとセットにされているのはここから来ています。しかし、これら2つの集団が同時に登場する史料はありません。また、カソはセンツォンミミシュコアを「無数の北方から来た者たち」と訳していますが、これはミシュコアトルが北方の神であるということから拡大解釈したものであり、ミミシュコア自体は「雲の蛇たち」という意味の名です。
 『ヴィジュアル版』にてセンツォンウィツナワックとセンツォンミミスコアとが共にコアトリクエ(ないしオメシワトル)の子供だとされているのは、上記の『太陽の民』の記述から、南北の星々がいずれも太陽と戦う相手なら、同じ親から生まれた者たちなのだろうと想像で補完したからだと思います。
 センツォンウィツナワがミシュコアトルの息子たちだという話の出所は『図説マヤ・アステカ神話宗教事典』です。主に『絵によるメキシコ人の歴史』に基づいた説明があり、それによると「(ミシュコアトルは)トナカテクトリとトナカシワトルの4人の子供達の1人で、赤のテスカトリポカとの同一視もされた。同文書の別の章では、テスカトリポカが他の神々を祝賀するためにミシュコアトルに変身した。このテスカトリポカ-ミシュコアトルは彼の考案した火熾し錐で人類に火を与えた。初めて燧石を打って火を熾したことで、ミシュコアトルは戦や狩りの他に火とのつながりも獲得した。彼はまた、太陽を養うために作られた400人の息子たち(センツォンウィツナワ)と5人の女たちの父でもあった。太陽がこの400人の心臓を食べ尽くした後、生き延びた女たちのうちの1人がミシュコアトルの最も有名な子孫ケツァルコアトルを産んだ」となっています(私は英語版しか所持していないため、当サイトでの訳は自己流)。
 しかし、この説明には『絵によるメキシコ人の歴史』の記述とは異なるところがあります。そのうち特に重要なのは、400人の息子たちと5人の女たちを作ったのはテスカトリポカだということです。確かに(黒の)テスカトリポカが他の神々を祝賀するためにミシュコアトルに変身する場面はあるのですが、彼はその後はまたテスカトリポカと呼ばれているので、この変身は一時的なものであったと分かります。けれども『図説マヤ・アステカ神話宗教事典』では永続的な変身だと考えたのか、ミシュコアトルが400人の息子たちと5人の女たちを作ったことにしています。『絵によるメキシコ人の歴史』ではテスカトリポカが作ったと書かれているのですが。また、「生き延びた女たちのうちの1人がミシュコアトルの最も有名な子孫ケツァルコアトルを産んだ」というのは、詳しくいうと、生き延びた女たちのうちの1人の子孫の女がミシュコアトルとも呼ばれるカマシュトリとの間に息子セ・アカトル(『絵によるメキシコ人の歴史』版セ・アカトルにはケツァルコアトル要素はない)を儲けたのでした。このミシュコアトルないしカマシュトリは赤のテスカトリポカと同一視されるものです。どうも、『図説マヤ・アステカ神話宗教事典』の説明では赤のテスカトリポカのミシュコアトルと黒のテスカトリポカのミシュコアトルとが混同されているようです。この他にも、ミシュコアトルないしカマシュトリとその息子セ・アカトルないしケツァルコアトルの話はいくつかの史料にありますが、いずれもウィツィロポチトリの誕生には直接関与しません。
 また、『絵によるメキシコ人の歴史』では400人の男たちがセンツォンウィツナワと呼ばれている訳ではありません。彼らはこの史料ではコアトリクエを含む5人の女たちの兄弟で、懐にしまった羽毛によって処女のまま妊娠したコアトリクエを殺そうとするも完全武装で誕生したウィツィロポチトリによって皆殺しにされます(この話にはコヨルシャウキは登場しない)。より有名な『フィレンツェ絵文書』版のコアトリクエの400人の息子たちとほぼ同じ役割であることから、『絵によるメキシコ人の歴史』の400人もまたセンツォンウィツナワと見なされたのです。そして、『絵によるメキシコ人の歴史』の別の箇所でこのテスカトリポカが作った400人の男たちは天の第3層にいるとも書かれていて、これはセンツォンウィツナワが星だと考えられる根拠のひとつのようです。
 なお、コヨルシャウキは神話において、ミシュコアトルとコアトリクエの子としてもトナティウとイスタクチャルチウトリクエあるいはトラルテクトリの子としても登場しません。彼女の父については明確な設定はないようです。『フィレンツェ絵文書』ではコアトリクエは未亡人ですが、かつての夫についての詳しい説明はありません。コヨルシャウキがウィツィロポチトリの母でセンツォンウィツナワがウィツィロポチトリの叔父となっているバージョンなら『チマルパイン絵文書』『クロニカ・メヒカーナ』等に収録されています。ディエゴ・ドゥラン『ヌエバ・エスパーニャ誌』ではコヨルシャウキとウィツナワ(400人はいない)はウィツィロポチトリに導かれていたメシカ人であって、彼の姉兄ではありません。コヨルシャウキの物語上で最も重要な役割とは一族のうちのウィツィロポチトリに対する反逆者というものであって、ウィツィロポチトリとの続柄はそれほど厳密に決まっているものではなく、彼女の父が誰かということも割とどうでもいいことです。
 長々と書いてきましたが、まとめると
 

といった感じです。
 ミシュコアトルのもう一人の有名な妻、チマルマンについては次項で解説します。
 

 ミシュコアトルは矢によってチマルマンを妊娠させた

 これもまた『太陽の伝説』のエピソードですが、ミシュコアトルはチマルマンに矢を4本放つも全てかわされます。しかし彼は彼女を捕まえ一緒に寝ます。そしてチマルマンはセ・アカトルを身ごもります。つまり、矢はチマルマンの妊娠に直接関与してはいません。別の文献には通常の性行為によらず身ごもるチマルマンの話もありますが、この矢の話とはまた別物です。

 ミシュコアトルの母はイツパパロトル

 『太陽の伝説』によれば、400人のミシュコアのうち数人は5人の攻撃から逃げおおせます。その生き残りの2人シウネルとミミチは天から降りてきた2頭の双頭の雌鹿を追っていましたが、その鹿たちが変身した女たちが彼らを誘惑します。そしてシウネルは1人の女に食い殺されてしまいました。もう1人の女、ツィツィミメのイツパパロトルはミミチを誘いますが、彼は火を熾して逃げ、彼女に矢を射ます。ミミチが兄の死に泣いていると、シウテテクティン(シウテクトリの複数形)が聞きつけ、イツパパロトルを焼き殺しました。彼女の灰からは青・白・黄・赤・黒の燧石のナイフが現れましたが、ミシュコアトルは白いものだけを取ってそれを彼のナワリとしました。
 『クアウティトラン年代記』でも、400人のミシュコアはイツパパロトルに食い殺されますが、ただ1人逃げたミシュコアトル(シウテクトリの3つの竈石こと3人の護衛の1人とされる)が彼女を射て、彼の呼びかけで復活した400人のミシュコアも彼女を射殺し、燃やします。
 ミシュコアトルとイツパパロトルの神話はこんな感じですが、『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』でイツパパロトルがミシュコアトルの母とされているのは、参考文献の1冊バー・カートライト・ブランデージ『第5の太陽』の「チチメカの母イツパパロトル」の項に由来するようです。「恐ろしい地母神が彼女の子供達を殺す(中略)が、彼女の英雄的な息子ミシュコアトルに打ち負かされる」と書かれていましたが、このイツパパロトルとミシュコアトルの神話の出典『太陽の伝説』では、ミシュコアトルはトナティウとイスタク・チャルチウトリクエの間に生まれトラルテクトリに育てられていて、イツパパロトルは彼の母としての役割は持っていません。イツパパロトルは地母神の要素を持つものの、少なくともこの神話ではミシュコアトルとは直接的な親子関係はありません。この『第5の太陽』にはイツパパロトルはミシュコアトルの女性配偶神(対となる女神。配偶者・妻である女神という意味ではない)だと書かれていますが、『ヴィジュアル版』には反映していません。また、『ヴィジュアル版』の参考文献には『クアウティトラン年代記』『太陽の伝説』を収録した『チマルポポカ絵文書』も挙げられていますが、それらの神話も反映していません。
 ところで、ミシュコアトル(カマシュトリ)はトナカテクトリとトナカシワトルの4人の息子の1人だという話と、トナティウとイスタクチャルチウトリクエとの間に生まれトラルテクトリに育てられた5人のミシュコアの1人だという話とがあります。チチメカの祖ミシュコアトル(カマシュトリ)とトランの王となるセ・アカトル(トピルツィン・ケツァルコアトル)親子の話が先にあって、それを別のどの話と組み合わせるかが『絵によるメキシコ人の歴史』と『太陽の伝説』とで異なったためにこのようなことになったのでしょう。メシカ人の守護神ウィツィロポチトリとチチメカの祖ミシュコアトルとを共に原初神の息子とすることでウィツィロポチトリの権威アップを図った『絵によるメキシコ人の歴史』と、ミシュコアトル-セ・アカトル親子を現在の太陽と強く結び付けようとした『太陽の伝説』といった違いがあるのだと思います(『絵によるメキシコ人の歴史』では創造神としてまたメシカ人の守護神として活躍するウィツィロポチトリは、『太陽の伝説』では登場したとたんに太陽を動かすための生贄になって死ぬ名ありモブ程度の役)。  

 太陽となったナナワツィンと月となったテクシステカトルは双子

 『フィレンツェ絵文書』では彼らの出自は書かれてませんが、『絵によるメキシコ人の歴史』『太陽の伝説』によれば、太陽はケツァルコアトルが一人で創った息子ないし分身的存在、月はトラロックとチャルチウトリクエとの間の息子あるいはトラロックとナパテクトリが召喚したものとなっています。
 ナナワツィンとテクシステカトルが双子というのはD.M.ジョーンズが考えた設定っぽいです。ひょっとすると『ポポル・ヴフ』の影響を受けてそうしたのかもしれません。

 新しい太陽の創造の際、ショロトルは仲間の神々が犠牲となって死んでしまったのを悲しんで泣いたあまり、両目が流れ出てしまった

 この話の元になったのは『フィレンツェ絵文書』版第5の太陽創造譚ですが、原典では「太陽の生贄になることを恐れたショロトルは泣きすぎて両目が流れ出る→様々なものに変身しながら逃げる→結局捕まって生贄にされる」という展開です。
 ルイス=スペンスの『Myths of Mexico and Peru』中のショロトルの解説「彼は空っぽの眼窩を持つ姿で描かれるが、神話が説明するところによると、新しく創造された太陽に生命と力を与えるために神々が自ら犠牲となることを決意したとき、ショロトルは引き下がり、そしてあまりに泣いたため彼の両目は眼窩から落ちてしまった。これはサポテカ人の表徴のメシーカ人による説明であった」を参考に、松村武雄氏が自己流解釈でアレンジ(というか創作)した神話を『神話伝説大系 メキシコ・ペルー神話伝説集』(『メキシコの神話伝説』『マヤ・インカ神話伝説集』の元となった本)に載せたため、日本限定でこの話が広まってしまったようです。
 余談ですが、ヘロニモ・デ・メンディエタの『インディアス教会史』では、ケツァルコアトル(エエカトル)ではなくショロトルが冥界に人間の骨を取りに行ったり新しい太陽のために他の神々を生贄に捧げる役を引き受けたりしています。
 ところで、ショロトルで検索するとソーシャルゲーム『グランブルーファンタジー』(略称グラブル)のイベント『舞い歌う五花』に登場する召喚キャラ「ティクニウトリ・ショロトル」の話題がよくヒットするので、ここでもちょっと触れておきます(私はグラブルやったことないけど)。
 ゲーム内では「ティクニウトリ・ショロトル」とは「我ら、ショロトルの友なり」という意味だとされています。このイベントに出てくる星晶獣ショロトルの元ネタが当記事でも扱っているアステカ神話の神ショロトルであることから、「ティクニウトリ・ショロトル」もナワトル語だということで興味を持ち調べてみた人も少なからずいるものと思われます。
 しかし「ティクニウトリ・ショロトル」という形はナワトル語としては不自然です。おそらくゲーム製作者は二人称単数形あるいは一人称複数形の接頭辞「t(i)-」と「友達」という意味の語「(i)cni¯uhtli」とを単純につなげたのでしょう。「~トリ」「~トル」が語尾にあるといかにもナワトル語っぽいし。でも「ナワトル語っぽい」と「ナワトル語として正しい」は違うのですよ。「ティクニウトリ」をナワトル語としてあり得る形にするなら「Ti¯cni¯hua¯n < t-i¯-cni¯uh-hua¯n」、「我ら-彼の-友-(所有形複数名詞接尾辞)」となります。カナを当てるなら「ティークニーワーン」。ただ、日本語の文中でナワトル語をカナで書く際には母音の長短はしばしば無視されるので「ティクニワン」でもいいでしょうか。テスカトリポカをテースカトリポーカと書くことはまずないし……そうそう、テスカトリポカの別名のひとつに「ティトラカワン(我らは彼の奴隷)」というのがありますが、これはアルファベット表記だと「ti¯tla¯cahua¯n < t-i¯-tla¯cah-hua¯n」で、先に書いた「ティクニワン」と同じ構成ですね。
 ついでにもうひとつ、『舞い歌う五花』は歌舞や賭け事や快楽の神マクイルショチトルを由来とするようですが、グラブルの5人の巫女達はさておきアステカ神話の神マクイルショチトルの名は暦の日付「5の花」なので、「5輪の花」とするのは不正確です。酒の神々の総称「センツォントトチティン(400羽の兎)」の一員「オメトチトリ(2の兎)」を例にすれば分かりやすいでしょうか。

 ミシュコアトルの母はイツパパロトル

 『太陽の伝説』によれば、400人のミシュコアのうち数人は5人の攻撃から逃げおおせます。その生き残りの2人シウネルとミミチは天から降りてきた2頭の双頭の雌鹿を追っていましたが、その鹿たちが変身した女たちが彼らを誘惑します。そしてシウネルは1人の女に食い殺されてしまいました。もう1人の女、ツィツィミメのイツパパロトルはミミチを誘いますが、彼は火を熾して逃げ、彼女に矢を射ます。ミミチが兄の死に泣いていると、シウテテクティン(シウテクトリの複数形)が聞きつけ、イツパパロトルを焼き殺しました。彼女の灰からは青・白・黄・赤・黒の燧石のナイフが現れましたが、ミシュコアトルは白いものだけを取ってそれを彼のナワリとしました。
 『クアウティトラン年代記』でも、400人のミシュコアはイツパパロトルに食い殺されますが、ただ1人逃げたミシュコアトル(シウテクトリの3つの竈石こと3人の護衛の1人とされる)が彼女を射て、彼の呼びかけで復活した400人のミシュコアも彼女を射殺し、燃やします。
 ミシュコアトルとイツパパロトルの神話はこんな感じですが、『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』でイツパパロトルがミシュコアトルの母とされているのは、参考文献の1冊バー・カートライト・ブランデージ『第5の太陽』の「チチメカの母イツパパロトル」の項を斜め読みして誤解した結果のようです。この『第5の太陽』にはイツパパロトルはミシュコアトルの女性配偶神(対となる女神。配偶者・妻である女神という意味ではない)だと書かれていますが、『ヴィジュアル版』には反映していません。また、『ヴィジュアル版』の参考文献には『クアウティトラン年代記』『太陽の伝説』を収録した『チマルポポカ絵文書』も挙げられていますが、それらの神話も反映していません。
 ところで、ミシュコアトル(カマシュトリ)はトナカテクトリとトナカシワトルの4人の息子の1人だという話と、トナティウとイスタクチャルチウトリクエとの間に生まれトラルテクトリに育てられた5人のミシュコアの1人だという話とがあります。チチメカの祖ミシュコアトル(カマシュトリ)とトランの王となるセ・アカトル(トピルツィン・ケツァルコアトル)親子の話が先にあって、それを別のどの話と組み合わせるかが『絵によるメキシコ人の歴史』と『太陽の伝説』とで異なったためにこのようなことになったのでしょう。メシカ人の守護神ウィツィロポチトリとチチメカの祖ミシュコアトルとを共に原初神の息子とすることでウィツィロポチトリの権威アップを図った『絵によるメキシコ人の歴史』と、ミシュコアトル-セ・アカトル親子を現在の太陽と強く結び付けようとした『太陽の伝説』といった違いがあるのだと思います(『絵によるメキシコ人の歴史』では創造神としてまたメシカ人の守護神として活躍するウィツィロポチトリは、『太陽の伝説』では登場したとたんに太陽を動かすための生贄になって死ぬ名ありモブ程度の役)。  

 意中の乙女と結ばれるためテスカトリポカに勝負を挑み願いを叶えた青年がいた

 これもまた松村による創作です。ルイス・スペンスの『Myths of Mexico and Peru』やダニエル・G.・ブリントンの『American hero-myths』の「もしテスカトリポカとの格闘で彼をつかみ打ち負かした者がいれば、彼は欲する恩恵をなんでも願ってよかった」といった記述を元に、「決死の組打ち」の物語を書いたようですが、スペンス・ブリントンの著書にもその元となった『フィレンツェ絵文書』『インディアスの王朝』にも、松村が想像したような恋愛成就の話はありませんでした。
 『フィレンツェ絵文書』には「テスカトリポカは人間を気晴らしの慰み者にするために、首が無く胸から腹にかけて大きく裂けた男のような化け物ヨワルテポストリや大男や死者の包みなどに化身して夜に現れるが、こうした化け物を取り押さえ化け物が持っているトゲ(約翰注:自己犠牲の瀉血に用いたりするようなものだと思う)を手に入れられるような勇敢な者は富や捕虜や武勇を得、地上のあらゆる幸福や満足を褒美として受けられる」といった話があります。『インディアスの王朝』ではテスカトリポカの化身についての言及はないようですが、フアン・デ・トルケマダはサアグンの著作を参考に『インディアスの王朝』を書いたらしいので、様々な化身はテスカトリポカの名の下にまとめてしまったのかもしれません。そしておそらく、スペンス、ブリントンも彼に倣ったのでしょう。
 ところで、「テスカトリポカの開いた胸に手を入れ心臓を掴んだ者は願いを叶えられる」といった話もありますが、実は心臓を掴んだところからが運試しのスタートらしいです。ヨワルテポストリあるいはテスカトリポカの心臓を切り取って包んで埋めて、夜明けに掘り出して見えたものが白い羽あるいはトゲであれば吉兆、炭のかけらかボロ切れなら凶兆ということの由。

 ケツァルコアトルは生のものを食べ寒さに苦しまねばならない人間を哀れんで、自分の靴を振って火を与えてやった

 これもまた松村による創作です。ブリントンの『Myths of the New World』内の「サンダルを振ることによって彼(ケツァルコアトル)は火を人間に与え、そして平和と豊かさと富を彼の臣民に授けた」という記述を元に「火の起源」の物語を書いたようです。
 実はこのサンダル火おこしエピソードは『ポポル・ヴフ』に登場する神トヒールのものでした。このトヒールがケツァルコアトルと同一視されることから、ブリントンはこのエピソードもケツァルコアトルのものとして紹介しました。『ポポル・ヴフ』での記述がどうだったかなどについてはこちらをご覧ください。

 

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