有名だからといって信頼できるとは限らないアステカ神話のあれこれ・その3

 テスカトリポカの失った足は右足? 左足?

 これは特に設定はないようで、右でも左でもあり得ます。

 「テスカトル」とは「黒曜石」を意味する。

 「黒曜石」を意味するナワトル語は「イツトリ(itztli)」で、「テスカトル(tezcatl)」は「鏡」という意味です。  「テスカトリポカ(Tezcatlipoca)」とは「煙る鏡」という意味で、黒曜石の鏡を表わしている……というところから「テスカトル=黒曜石」という誤解が生じたようです。

 コヨルシャウキは兄弟が母親殺しを企てていることを警告しようとしたがウィツィロポチトリに首を切り落とされた。後にコアトリクエから姉に悪意がなかったことを告げられたウィツィロポチトリが姉の首を天に投げるとそれは月になった。

 私が調べた限りではありますが、どうもこのエピソードは後世の研究者による推測によるもので、古文書にはないようです。
 ウィツィロポチトリ誕生譚のもっとも詳細で有名なバージョンが収録されている『フィレンツェ絵文書・第3書』によれば、コヨルシャウキは母親殺しの首謀者で、兄弟の先頭に立って母コヨルシャウキを殺そうとしたが、完全武装で生まれたウィツィロポチトリに首をはねられ、首はコアテペックの上に留まり残りの体はバラバラになってコアテペックを転がり落ちていきました。この首がその後どうなったかについての記述はありません。なお、この本ではコアトリクエに警告しに行ったのはセンツォンウィツナワの1人クアウィトリカクで、『フィレンツェ絵文書・第2書』によれば彼はその後ウィツィロポチトリの使者パイナルの助手になったようです。
 ウィツィロポチトリ誕生譚やコヨルシャウキが登場する神話には他にもバリエーションがありますが、そのどれにも見出しに掲げたような要素は含まれないようです。
 実際のところ、コヨルシャウキは月の女神だと神話中で明言されている訳ではないし、カール・タウベ『アステカ・マヤの神話』でも指摘されているように、月の象徴と思われるものを身に着けてもいません。彼女が月の女神だといわれるのは、ウィツィロポチトリが太陽なら対するコヨルシャウキは月だろうという推測に基づく解釈だったはずなんですが、いつの間にやら既成事実みたいになっていました。
 コヨルシャウキは母に危険を知らせるつもりだったのに誤って殺されたという話は、私の調べでは恐らくコティー=バーランドという研究者が考えたものです。たとえば、『The Aztecs』という本に「彼(ウィツィロポチトリ)は最初に見たものの首を一撃で刎ね、そしてふとそれは彼に嘆願しに来た姉であったことに気付いた。彼はしばし後悔し、首を拾うと天に投げ上げた。そこで黄金の鈴は他の星々が消え去った後も輝いた」といった記述があります。バーランドによるこのようなアレンジが他の著者のいくつかの本でも参照され、コヨルシャウキに殺意があったのとなかったのと2通りの神話があるかのようになってしまったのでしょう。
 それでは、コヨルシャウキに殺意があったバージョンでもウィツィロポチトリが彼女の首を投げると月になったと解説されていることがあるのは何故か?という疑問も湧きます。それは推測ですが、バーランドの説を読んだ研究者が、コヨルシャウキに殺意がなかったというのは無理があるとしつつも、彼女の切り落とされた首が天に昇って月になったというのはインパクトがありイメージしやすいので、その部分だけを殺意があった説の方に組み合わせた結果できたものではないでしょうか。その背後には「ウィツィロポチトリ=太陽/コヨルシャウキ=月」という思い込みが作用していたことは想像に難くありません。こうして、実際の史料にはなかった描写が増えていき、それを読んだ人達によってさらに広められていったのです。

 イシュトリルトン、マクイルショチトル、ショチピリは健康、快楽、幸福を司る3兄弟。

 私が調べた限りではありますが、どうもこの設定は『ヴィジュアル版世界の神話百科 アメリカ編』(とそれを参考に書かれた本)にしかないようです。
 この設定はルイス=スペンスの本『メキシコの神々』を参考にしてD.M.ジョーンズが考えたものだと思われます。
 『メキシコの神々』には「前述のことから(約翰注:子供が病気になるとイシュトリルトンの神殿で甕に入った黒い水を飲ませたことや、宴の際にはイシュトリルトン(を演じる人)が連れて来られ、食事の後に踊り、それから酒の甕の蓋を開けたこと)イシュトリルトンが人々の健康を保ったり病からの回復を助けたりする薬効の神で、したがって幸運と歓楽の神ショチピリ-マクイルショチトルの兄弟であったことは明らかである」と書かれていましたが、スペンスがハイフンで結んでいた2つの名前をジョーンズは幸運の神ショチピリと快楽の神マクイルショチトルに分けました。
 スペンスはサアグンの『フィレンツェ絵文書』での記述に基づいてマクイルショチトルとショチピリを1つの神が異なる名と姿で表わされたものと考えましたが、ジョーンズは別々のものだとしました。ゼーラーが論文「絵によって書かれたもの、暦、神話」(『メソアメリカ言語学・考古学論集』収録)にてイシュトリルトン・マクイルショチトル・ショチピリを音楽と踊りの神々と紹介したように、これらの神々は職能において共通するものがあるのは確かです。イシュトリルトンのことをショチピリやマクイルショチトルの兄弟(Bruder)だと言ったのもゼーラーですが、彼はまた仲間(Genosse)と言い換えてもいます(『フェイェルヴァリー-メイヤー絵文書』解説書の索引にて)。Bruderには兄弟という意味も仲間という意味もありますが、Genosseには仲間という意味はあっても兄弟という意味はありません。そこから推して、ゼーラーは必ずしも血縁関係があるというつもりでBruderと書いていたとは限りませんが、スペンスは実際に血の繋がった兄弟だと思ったようです。そしてゼーラーの本は読んでいないジョーンズは(参考文献リストの本すらちゃんと読んでない人がリストにない本を読んだとは考えにくい)スペンスの解釈に従ったのでしょう。しかし前述のようにジョーンズはマクイルショチトルとショチピリは別物だとしているので、「イシュトリルトン・マクイルショチトル・ショチピリは健康と快楽と幸福を司る3兄弟」ということにしたようです。要するに、「イシュトリルトン・マクイルショチトル・ショチピリは健康・快楽・幸福を司る3兄弟」という話は「ゼーラーがひねった言い回しを使う→スペンスが比喩的表現を真に受ける→ジョーンズが裏を取らずに孫引き+アレンジ」という流れで出来上がったものだということでしょう。孫引きの危険性が再認識されます。
 これら3神には密接な関係があるようですが、しかし血のつながった兄弟だと断言している資料はないと思われます。
 なお、マクイルショチトル以外の快楽の神々アウィアテテオのメンバー(マクイルクエツパリン、マクイルコスカクアウトリ、マクイルトチトリ、マクイルマリナリ)については血縁関係その他細かいことはあまり判っていないようです。マクイルトチトリは羽毛細工師の守護神でもあるということは『フィレンツェ絵文書』に書かれていました。

 ケツァルコアトルを食料の山トナカテペトルに導いたアリの名前はアスカトル。

 『太陽の伝説』でケツァルコアトルをトナカテペトルに導いた赤蟻は『ヴィジュアル版』だと「アスカトル」という固有名を持つ蟻のように紹介されているけれども、実際にはアスカトルは単に1匹の蟻を指す一般名詞として用いられていると思います。件の蟻は「赤蟻(トラトラウキアスカトル)」でケツァルコアトルが変身したのは「黒蟻(トリルアスカトル)」ですが、これらはいずれも『フィレンツェ絵文書』では普通に昆虫として挙げられています。『太陽の伝説』に登場するのも「アスカトル」という名の特別な蟻という訳ではなかったでしょう。『太陽の伝説』を英訳したビアホーストもただの蟻として訳していました。

トラウィスカルパンテクトリは正確にはトラヴィス・カルパン・テクトリ。

 トラヴィス・カルパン・テクトリという表記は『メキシコの神話伝説』に「トラヴィズ・カルパン・テクトリ(Tlaviz calpan-tecutli――曙の光の主)」と書かれていたことから広まったようです。なぜこの本に書かれたそのままで広まらなかったのかは、おそらく例えばこの本のテズカトリポカTezcatlipocaはテスカトリポカ表記の方が一般的なので、ならばトラヴィズよりもトラヴィスの方が正確なのだろうと判断されたからでしょう。こっちの方が発音しやすいし。
 しかし、ナワトル語にはヴァヴィヴヴェヴォの音はありません。なのにどうして「Tlaviz calpan-tecutli」という綴りなのでしょうか? 私の調べでは、松村武雄が参考にしたルイス・スペンスの『The Myths of Mexico and Peru』に「Tlauizcalpantecutli (Lord of the Dawn)」と書かれていたのを読み間違え、そして長いので意味が区切れそうに見えたところで分かち書きしたからではないかと思われます。
 「Tlauizcalpantecutli」という綴り自体は『テレリアーノ-レメンシス絵文書』『バチカンA絵文書』等の征服後に作られた文献に書かれています。現代では「Tlahuizcalpantecuhtli」と書かれることが多いですが、表記ゆれの範疇と考えてよいでしょう。ちなみに、w音をvやuで書くのはフランシスコ会やドミニコ会が多く、huで書くのはイエズス会式だそうです(実際には混在していて必ずどちらかに分けられるというものでもないようですが)。
 huでwの音を表すのは、ナワトル語のアルファベット表記はスペイン語のそれが元になっているからです(xの文字でshの音というのは現代のスペイン語とは異なりますが、それは征服当時のスペイン語の表記が残っているからです)。そして、当時のスペイン語ではvの文字でwの音を書き表すということもありました。なので「Tlavizcalpantecutli」という書き方もあり得るのですが、それを「トラヴィス・カルパン・テクトリ」と読むのはあり得ません。「ヴ」の文字が厨二心をくすぐってくるからといって、誘惑に負けてはなりません。
 また、「トラウィスカルパンテクートリ」という表記もかなりの頻度で見受けられますが、これもまたナワトル語的にはおかしなことです。ナワトル語ではcuhないしcu、ucと書かれる音は、綴りからは子音と母音の組み合わせと思われがちですが、実際には1つの子音/kw/です。なので、「テクートリ」のように伸ばして読むということはありません。ショロトルが泣いた理由の話でも書いたけれど、ナワトル語には母音の長短の区別があります(言語学方面の文献でもなければ省かれることが多いですが)。なので「Tlahuizcalpantecuhtli」の母音の長短を区別して書くなら「Tlāhuizcalpantēuctli(トラーウィスカルパンテークトリ)」となります。
 せっかくだから読みだけでなく意味の話も。トラウィスカルパンテクトリの名前の意味は「暁の主」ないし「暁の家の主」と説明されることが多いですが、「家」の有無はどういうことなのでしょうか?
 『メキシコの神話伝説』では「Tlaviz calpan-tecutli」と書かれていますが、正しく分割するなら「Tlahuizcal(薄紅の曙光)-pan(ある特定の面、範囲、時の)-tecuhtli(主)」となります。より細かく分けるなら「tlahuizcal」は「tlahuiz(光を放つ)」と「calli(家)」ですが、光を放つ家とは夜明けの比喩的な表現であり「暁の家」というものがある訳ではありません。なので、「暁の主」の方が「暁の家の主」よりも適切な訳だといえます。

アステカで用いられていた黒曜石を木の棒にはめた剣はマクアフティル。

 「macuahuitl」とは「maitl(手)」と「cuahuitl(木・棒)」からなる言葉で、手に持って使う木製の棒状の武器ということを表しています。カナ表記にすれば「マクアウィトル」になるところですが、実際には「マクアフティル」の方が広く用いられています。なぜそうなったのかというと、市川定春『武器事典』(新紀元社/1996)にそう書かれていたことが切っ掛けです。イギリスのオスプレイ社の軍装本シリーズの1冊『Men-at-Arms Aztec,Mixtec and Zapotec Armies』に掲載されていた「macuahuitl」を紹介する際、カナを「マクアフティル」にしてしまったからです。そして、間違いだと知られることなく漫画やゲーム等で「マクアフティル」が使われたため、本来の読みに近い「マクアウィトル」ではなく「マクアフティル」の方が一般的になったのでした(厳密に言うとナワトル語のtlはアルファベット2文字で書かれるものの実際は1つの子音/tɫ/であり、トルとカナを充てるのは不正確ですが、これはすでに慣用表記として定着しているということでご了承ください)。また、同著者の『武器甲冑図鑑』(新紀元社/2004)では「マクアフィテル」と書かれていました。「マクアフィテル」表記はリチャード・ホームズ『武器の歴史大図鑑』(創元社/2012)にも見られます。
 ところで、マクアウィトル(私はこちらの表記を使用)を装備した人間の戦士はしばしば描かれていますが、神々はもっぱら投槍とアトラトル(投槍器)を持っています。マクアウィトルが使われるようになったのは後古典期後期になってからです。トルテカ時代には原型となるような武器はありましたが、後のマクアウィトルほどの長さはありませんでした。この比較的新しい武器を神々が持っていることはあまりないのは(持っている例としては、先端が黒曜石の刃をはめた剣の形をした杖マクアトピルを羽毛細工職人の守護神コヨトリナワルが持っているなど)、神々の衣装や持ち物等はその性質や役割などを表すものであり、伝統的な描写を変更する必要性が特になかったからではないかと思います。神々がよく手にしている投槍とアトラトルはテオティワカンの頃にはすでに用いられていた、古くからある武器です。
 もっとも、『フィレンツェ絵文書』第3書のウィツィロポチトリがセンツォンウィツナワと戦うシーンの挿絵では彼らはマクアウィトルらしき武器を手にしています。しかし、地の文では投槍や投槍器についての言及はありますが、マクアウィトルを持っているとは書かれていませんでした。挿絵画家が絵的な都合でマクアウィトルに改変したのでしょうか?
 アトラトルといえば、『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』に「アトル・アトル(投槍器)」と書かれていたり、『マヤ・アステカの神話』に「自然の力に従うという考えは、アトラトル(矢)とアトル(水)という相似の語根の中に含まれている」という文があったりするので、水と何らかの関係があるのではと思われることがありますが、特にそういう事実はないようです。投槍器のナワトル語表記はahtlatlですが、無声音hはしばしば省かれます。そして水はātlですが、長音の記号はしばしば省かれます。という訳で、atlatlとはatl-atl、atlを2つ重ねた単語であり、水と関連するものであることが表されている……と解釈されてしまったのでした。

アステカにはミキストリという名の死神がいる。

 以前、Wikipediaの「ミキストリ」の項目には以下のような解説がありました(2015年11月現在では変更されています)。
「ミキストリ(Mextli, Miquiztli)は、アステカ神話に伝わる死神。戦争と嵐をもたらす神で、武装した戦士の姿で誕生したといわれる。古代アステカでは、毎年何百もの生け贄がこの神に捧げられた。 テクシステカトルと同一視される。また、メキシコの語源とされる。
参考文献 『悪魔事典』 新紀元社、2000年、374頁。」

 この解説には色々と問題がありますが、まず、ミキストリのアルファベット表記とされているMextli及びMiquiztliについて。
 Wikipediaのミキストリの項の他言語版で英語版をクリックするとMetztliの項に飛びます。どうやら、英語版WikipediaではMextliで検索するとMetztliの項にリダイレクトされることやMiquiztliの項目がないということから、Metztliの項にリンクさせたようです。そして、Metztliの項には 「アステカ神話において、メツトリMetztli(Meztli、Metziとも)は月や夜や農業従事者の男神ないし女神であった。彼/彼女は恐らくヨワルティセトル(訳注:ヨワルティセトルYohualticetlはヨワルティシトルYohualticitlの誤記だろう。詳しくはこちらの記事を参照)やコヨルシャウキ、そして月の男神テクシステカトルと同じ神であった。後に見るように、彼/彼女はその炎が恐ろしい故に太陽を恐れた。そしてまた、太陽となるための自己犠牲に失敗した卑しい寄生虫病の神が月となったがその代わりにウサギによって彼の顔は暗くなったとも言われた」 と書かれています。
 ヨワルティシトルは実際の神話において月の女神だと明言されたことは恐らくないとかナナワツィンとテクシステカトルがごっちゃになってるとか、ツッコミ所はあるもののアステカ神話における月の神の説明だということはわかります。Miquiztliの方は死を意味するナワトル語です。
 しかし、英語版のMetztliの解説と日本語版のミキストリの解説にはテクシステカトル以外には共通する要素が見受けられません。それでは少し話を戻し、なぜミキストリのスペルとしてMextliとMiquiztliの2つが挙げられているのかということについて考えてみましょう。
 征服当時のスペイン語が元になっているナワトル語のアルファベット表記においてはxはshで発音されますが、予備知識がなければそう読むことはなかなか思いつかないでしょう。参考文献の該当箇所には、 「Mextli ミキストリ 死を司り、戦争と嵐をもたらす者。月を象徴する」 とありました。WikipediaのMextli表記もこれが由来のようです。しかし、どうしてMextliがミキストリなのでしょうか? 想像ですが、『悪魔事典』の著者がナワトル語のxの読み方を知らなかったとしたら、xをshではなくksと読んでメクストリはミキストリに似ている、これがミキストリの綴りだろうと思ったのではないかと。そして、日本語版Wikipediaの記事を書いた人もMextliはきっとMiquiztliの異綴りだろうと考えてしまった……ということがあり得ます。
 そして、どの文献かまでは特定できませんでしたが、Mextliを完全武装で生まれた戦争と嵐を司る神で毎年何百人ものの人間が生贄として彼に捧げられたとしている本があったようです。Wikipediaではありませんが海外のサイト『Encyclopedia Mythica』に、日本語版Wikipediaのミキストリの項と同じような記述がありました。 「Mextli メシカ人の主神(彼らの国名の元となった)で、より一般的にはウィツィロポチトリと呼ばれた。何百人もの人間が毎年生贄として彼に捧げられた。メシトリ(原文Mexitli)は戦争と嵐の神で、完全武装で生まれた」 日本語版Wikipediaのミキストリの記事を書いた人も、恐らく私と同じようにウェブ検索して『Encyclopedia Mythica』のMextliの項に辿り着いたのでしょう。
 けれども、また1つ疑問が生じます。『Encyclopedia Mythica』にも書かれているように、Mextli(本来はMexitli)はウィツィロポチトリの別名とされるものです。なぜ『悪魔事典』や日本語版Wikipediaではテクシステカトルのことになっているのでしょうか?
 そのヒントは、アイリーン・ニコルソンの『マヤ・アステカの神話』にありました。172ページ、「VII 第五の太陽」の章に 「テクシステカトル(死の日を表わす神、前にミキストリとして出てきている。のちに月の神として認知された神)」 と書かれていたのですが、実はこれは日本語訳に問題があるのです。該当箇所は英語の原著『Mexican and Central American Mythology』では 「A god Tecciztecatl (whom we may remember as the deity of the death's head day, Miquiztli, and who later became acknowledged as the moon god)」 となっていました。「the death's head day」とは髑髏の絵文字によって表される日で、そのナワトル語の名称がミキストリです。つまり、「the deity of the death's head day, Miquiztli」とは「死の日ミキストリの神」ということですが、邦訳ではミキストリは日ではなく神の名前になってしまっているのです。確かに原文も紛らわしい感じではあるものの、ミキストリの名称が前に出てきた箇所(116ページ、「III 暦」の章)ではミキストリは日の名でテクシステカトルはその守護神だとされているので、併せて読めば文意は酌めるはずです。
 なお、日本語版Wikipediaのミキストリの記事に添えられた絵はミキストリの日を表す絵文字であって、神ミキストリの肖像という訳ではありません。そもそもミキストリなる神はいないので、絵文書から探そうとしても見つからないのです。
 そんな訳でミキストリとはテクシステカトルの別名ではないのですが、『悪魔事典』の著者はそうは思わなかったようです。しかも「死の日を表す神→死を司る神」と解釈が飛躍したらしいです。そして、何かは不明ですが海外の文献で見つけたMextliをミキストリのことだと判断し、『マヤ・アステカの神話』の記述と混ぜて『悪魔事典』の記事を書いたのでしょう。
 そして、『悪魔事典』を読んだある人が日本語版Wikipediaにミキストリの項目を作りました。その際、彼/彼女は『マヤ・アステカの神話』や『Encyclopedia Mythica』の情報も参照したようですが、『Encyclopedia Mythica』ではMextliはより一般的にはウィツィロポチトリと呼ばれたと書かれているのをテクシステカトルにしたのは、『マヤ・アステカの神話』の「VII 第五の太陽」の章にあったテクシステカトルが太陽になり損ねた神話を踏まえた結果のようです。Mextliがミキストリで月を象徴するのなら、太陽神といわれるウィツィロポチトリがMextliというのは何かの間違いだろうと判断したのではないでしょうか。英語版WikipediaではMextliで検索するとMetztliの項にリダイレクトされるし。
 長くなってしまいましたが、まとめると
  ・『マヤ・アステカの神話』の訳者が「テクシステカトル(前に死の日ミキストリの神として出てきている)」とするべきところを「テクシステカトル(死の日を表わす神、前にミキストリとして出てきている)」と訳す
 ↓
・『悪魔事典』の著者がアステカにはミキストリという死の神がいると思い込む
 ↓
・『悪魔事典』の著者が海外の文献(現時点では未特定)に書かれたMextliとはミキストリのことだと思い込む
 ↓
・『悪魔事典』のミキストリの項目を書く
 ↓
・ある人が『悪魔事典』をベースに、『マヤ・アステカの神話』や『Encyclopedia Mythica』なども参考にしつつ日本語版Wikipediaのミキストリの項目を書く
  といった流れを推測したということです。

『フェイェルヴァリー-メイヤー絵文書』最初のページの中央に描かれているのはシウテクトリ? テペヨロトル?


 カール・タウベ『アステカ・マヤの神話』ではシウテクトリ、アイリーン・ニコルソン『マヤ・アステカの神話』ではテペヨロトル(テペヨリョトル)とされているこの図の中央の神は何者でしょうか?
 結論から言うと、これはシウテクトリです。この図の十字の中央と4本の腕とに描かれているのは夜の主とされる9柱の神々で、順にシウテクトリ(中央)イツトリ(上右)ピルツィンテクトリ(上左)センテオトル(右下)ミクトランテクトリ(右上)チャルチウトリクエ(下右)トラソルテオトル(下左)テペヨロトル(左上)トラロック(左下)です。そして図の四隅に血を流しながら吹っ飛んでいるバラバラになった神はテスカトリポカです。暦日印と小さな丸が描かれた2つの十字は260日暦を表しており、バラバラになった予兆の神テスカトリポカから流れる血は中央にいる年の主シウテクトリに滋養を与えています。この図は全体として、暦と方位、時間と空間を表しています。
 それでは、なぜ『マヤ・アステカの神話』では中央の神をテペヨロトルだとしたのでしょうか?(どうでもいいけど書名がややこしいなぁ) それは「中央にいる神は顔に黄色と黒の縞模様、頭に獣の耳のようなもの……中央すなわち心臓……ジャガーの姿の「山の心臓」テペヨロトルだろう」と判断したからだと思います。
 テペヨロトルはテスカトリポカの一形態で、ジャガーの着ぐるみを着たテスカトリポカの姿で描かれることもあります。

 テスカトリポカもシウテクトリも共に黄色と黒の縞模様のフェイスペイントなので紛らわしいのですが、以下の図に示したポイントに気を付ければ、例外もあれど大体は見分けられます。

 この記事に載せた『フェイェルヴァリー-メイヤー絵文書』の図でも確認できます。

テスカトリポカの鏡の足は子宮の中で丸くなっている兎の形をしている。

 この説明は『マヤ・アステカの神話』でしか見たことがなく、しかもそこでも具体的にどの史料にどのように描かれているのかが示されていなかったので、これのことを言っているのだろうかと私が推測したものを載せます。

 『ボルジア絵文書』17頁下に描かれたテスカトリポカです。足先の鏡のところに何か動物が付いているので、これではないかと思いました。
 この絵についてのエドゥアルト・ゼーラーの解説は以下の通りです。

 足先の鏡に付いている動物はオセロトル、つまりジャガーです。この絵のテスカトリポカは体や装束や装備品に20の暦日印を付けているのです。

 兎とジャガーと鹿と犬、識別の難易度高いよ! もうちょっと描き分け何とかならなかったの!
 ……とまぁそんな訳で、ジャガーを兎と誤認したアイリーン・ニコルソンがなぜテスカトリポカの足先の鏡に兎がいるのかと考えた結果、「彼(テスカトリポカ)の鏡の足は、子宮の中で丸くなっている兎の形をしており、「どちらの方向にも跳ねる」その兎は、予想しがたいものの象徴である」と解釈したのでしょう。

チャルチウトリクエは若さと情熱の女神。

 水の女神であり、かつ若さと情熱の女神とも言われるチャルチウトリクエとはいったいどんな女神なのか? サアグンの『フィレンツェ絵文書・第1書』にはこのような記述があります。「この女神は人を沈め、溺れさせることがあった。水は荒れ、波がうねった。波がぶつかり合い、鳴り響いた。水は荒れ狂った。収まり、鎮まったかと思うと、波がうねるのであった。このように言われた。「水がふざけている。膨れ上がる。しぶきを上げる。砕け散りながら、泡を立てながら、波が岸を叩く」。風がなければ、穏やかであった。水面は、キラキラ輝いて、鏡のように広がっていた」(引用元:ベルナルディーノ・サアグン 著/篠原 愛人、染田 秀藤 訳/『アンソロジー新世界の挑戦9 神々とのたたかいI』/岩波書店/1992)
 このような描写を元に、コティー・バーランドは『The Gods of Mexico』で彼女のことを「最も美しい若き女神チャルチウィトリクエ、貴重な翡翠の貴婦人。彼女は嵐、自然の気まぐれな力、伸びゆく葦の移ろいやすい美、水の渦巻き、あらゆる美そして全ての思いがけない危険の女神であった」と評しました。そしてそれを参考にしたアーサー・コッテルは『世界神話辞典』で彼女の気まぐれで危険な要素を「ardour」の語に込めて「アステカの水の女神で、若さと熱情を表現している」(引用元:アーサー・コッテル 著/左近司 祥子、瀬戸井 厚子、山口 拓夢、宮元啓一、伊藤 克巳、左近司 彩子 訳/『世界神話辞典』/柏書房/1993)と書いたのです。それがさらに参照され「若さと情熱を象徴する存在でもある」(引用元:山北篤 監修/『西洋神名事典』/新紀元社/1999)と表現が少し変わりました。この『西洋神名事典』はライトな神話ファン向けの本で多くの人達に参考にされたため、「若さと情熱」という表現が広まったものと思われます。ソーシャルゲーム『サモンズボード』の「情熱の女神テルチウィトカ」の元ネタもこれでしょう。
 余談ですが、『世界神話辞典』のチャルチウィトリクエの項に書かれた「とげのある梨の木」は英語の原文では「prickly pear」で「ヒラウチワサボテン(ノパル)」のことです。


 

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